鷹見ひかりマシュマロ返信⑤


いつも壁の前でまっすぐ立ってもらっています。
頭の先から足の先まで、手の指先までもまっすぐです。

腕力が強い方ではないですが、思い切りがよくて、やると決めたことは必ずやります。
だからどんなに抵抗されてもお仕置きを続けることができます。

やる気が出ないとき、私がどうやって机の前に向かっているかの話をします。
これは私の話なので万人に当てはまるわけではないと思うけど、きっと似た人もいると思います。
やる気が出ないときっていうのは、やらないままに「やらなければいけない」という気持ちだけが積み重なったときが多いです。
やり始めるために進む道の途中に、まったく無関係な「やらなきゃ」の壁をコツコツ積み上げてしまっている。
だからそれを認識し、意識的に無視して、一旦やる。それしかないです。
やってみると、やる気とかそういう問題ではない様々な問題(時間が足りないとか覚える量が多すぎるとか難易度が高すぎる)とかが出てきてそれに集中するしかなくなるので、そこまではもう苦しいけどがんばりましょう。
もうすでにそこまでたどり着いている場合は、今ならやれそうってタイミングが一日の中で訪れたりすると思うから、それを無視せず尻尾を掴むことが重要だと思います。
やらなければいけないことなんてこの世にひとつもないのにあなたはやろうとしているわけで、そこに立ち帰ることもいいと思います。
もしくはやる気が出ないのではなくて、その気持ちが「やりたくない」という気持ちなのではないかということも考えてみるといいかもしれません。やりたくないことはやらない方がいいです。

私は自分の体型をコントロールしようと思うことがあまりなくて、また他者の身体に対してもっと痩せて/太っていればよかったのにと思うこともまったくありません。
そもそも持っているものを使ってどういうふうに反応・感情を表現しているかを見ることに忙しくて、他者の外見そのものに興味がいくことがほとんどないです。
だから痩せたいということそのものへのアドバイスはあまり向いていないんですが、その上で言えることだけ言います。
まずは、運動量を増やし、摂取カロリーを減らし、適切な栄養バランスのとれた食事をしていれば痩せていくということを信じることだと思います。
体重の増減に関わらずなんにでも言えることだと思うのですが、積み重ねそのものを信じないための努力を恒常的にしてしまうのは人間あるあるだと思います。
なぜなら、積み重ねに効果がないとすればどんな怠惰も努力と並列のよい効果があると感じることができ、その状態はとても楽だからです。
人間は気を抜くと無限に楽をしたがってしまうということについて理解した上で、積み重ねによって手に入る結果を信じない努力を辞め、シンプルな考え方に立ち戻るといいんじゃないかと思います。
私と一緒に痩せることをがんばりたい場合は、痩せた太ったの結果ではなくて、決めたことを必ず守るという方向でがんばっていきましょう。

数字や事務作業が苦手。

私は自分自身に言葉のやりとりの上手さを感じることはありませんが、もしそう思ってもらえたのならばそれは文章を読むことが好きなところからきていると思います。
私が好きな文章は、言葉の定義を規定し、それを共有し、考えを言語化し、それを伝わるところまで持っていく、その苦しみの跡が滲んだようなものです。
伝わらなくては意味がない。伝えるために変えてしまっては意味がない。書いた人間のこだわりの強さが出ている文章をたくさん読んできたので、自分自身にもそういうところがあるのではないかと思います。

私も知りたいところではあります。
普段何かコツや方法みたいなものを意識して話すことはほとんどないです。
人のことを知ることが好きなので、知りたいという気持ちに貫かれているときは、それを出し過ぎないように気をつけることはあります。
何もかも知りたい、それは情報や属性や出来事そのものの箇条書きではなくて、感情や纏う空気やそういうものを知りたい、という感じで、教えてほしいわけではなくて降りていきたい、見たい、共鳴したい、という感じで、それを出し過ぎないように気をつけています。
知ってほしいと思ってくれることだけ知りたい、知られたくないことには決して触れないでいたい、知ってほしいと思うことを教えてくれるなら、それについてのすべてを知りたい、というのが私の会話の基本的なやり方だと思います。

上手だなんてそんな……!
本を読むことが好きなのでそのような本を読んだことはありますが、専門的に勉強したことはありません。
ただ分野として関心の高いものではあります。
コーチングという言葉を知るずっと前から、人を励ますことがとても好きでした。

キーちゃんが、しようと思っているのだがどう思うか、と訊いてくれたら止めます。
具体的なことがわからないとそれ以上のことは言えないけど、キーちゃんが悲しい思いをしませんようにという祈りはいつも持っています。
なんでも直接相談してください。

短い質問文から、あなたが死にたさをやり過ごすべき、解決すべき感情として処理しようとしている印象を受けたので、そう仮定してお答えします。
私も死にたい気分をやり過ごすべきものとして認識しています。
死にたい気分が生じたときはまずすべての動きを止めます。死に方を選択するとか、死ぬ時期を検討するとか、なるべくそういう方向に考えが向かないようにします。
そして体の状態を味わいます。強張っているとか、弛緩しているとか、熱くなっているとか冷たくなっているとか、それらすべてを享受する受け皿のようになります。すると自然と体の力が抜けてきます。
次に、何が自分にとって気に入らないのかを心の中から探します。そしてそれが本当に死にたさに値するものなのかを考えます。
答えを出すのが目的ではなくて、考えることで間を持たせることが目的です。
自分の中に世界全体に対する支配欲が残っていないかよく検討します。
世界のすべては反応の連鎖でしかありません。
完成された世界が用意されていて、そこにたった一人で放り出されているわけではありません。すべては流れの中にあって、すべてのものが互いに影響を与えながら過ぎ去っていきます。
他者からの反応を先に想定しそれに向けて何かをしたり、望むような反応を他者から引き出そうとしたりするときの人間は、それがうまくいっていてもいっていなくても、とてもつらい状態にあると言っていいと思います。
自分が何をするか、そして他者がそれにどんな反応を返すのか、というシンプルなスタンスでいることが自然で、自然だととても楽です。
自分がどのように世界から受容されたいかということを、自分が動く事よりも先に規定してしまうのは、世界全体に対する支配欲がある状態です。
その支配欲は絶対に満たされません。満たされない欲求は、捨てられるなら捨てた方がいいです。
そうやって頭の中でいろんなことを感じ、考え、検討しているうちに死にたさは段々と和らいできます。
そして死にたさは日々実際に生じる細々とした悩みに分割され、解決可能なものとして目の前に現れます。
私は言語で物事を考えることに偏った人間なので、このやり方で私以外の人が乗り切れるのかはわからないですが、私はこういう感じです。

お散歩したり、景色を見たり、山や森や海に行ったり、歩き回ったり、お酒や珈琲を飲んだりします。

たくさん遊び、たくさん眠り、たくさん本を読みました。

インナーカラーを入れたことがあります。全頭はないです。

気づいた瞬間に歯医者の予約を入れてください。質問の答えとしては「1秒」です。マジで。